40高中
旧道に残る最も美しいもののひとつ
法改正で廃止された旧い道路標示。
数少なく路面に残る
「40」
「高」「中」の3文字は
旧道に残るものの中で、
最も美しい物のひとつだと思います
昭和の旧道に残された、
黄色いセンターラインはモノトーンの道路にも、血が通っていると感じさせます。
同じ黄色で描かれた
「高」「中」の2文字。
道の一面を占める、この存在感ある道路標示は
法律改正により失われたという歴史背景ゆえに、
「今は無い、かつてはあった。」
懐かしさを呼び起こす力を持ちます。
旧道の美しさを形作る要素は他にもあります。
それらを幅広く、数多く
紹介していきたいと思っています。
40高中をはじめとした「高速車、中速車」という名称は、昭和30年代後半(1960年代)に道路交通法にて「車両の種類」ごとに異なる「制限速度」を示すために生まれました。平成4年(1992年)の道路交通法改正により撤廃されるまで、道路標識や道路標示が、ドライバーに対して役目を果たしていました。
道路標示とは、道路の交通に関し、規制又は指示を表示する標示で、路面に描かれた道路鋲、ペイント、石等による線、記号又は文字のことです。 道路法により、「交通の安全と円滑を図るため、必要な場所に道路標識や道路標示をつけなければならない」という法律に基づき公道に設置されています。
道路交通法が制定されたのは1960年(昭和35年)。さらに1964年(昭和39年)にジュネーブ交通条約に倣った改正が行われ、「左側の車線に詰めて走行すること (キープ・レフト)」 などが決められ、道路に中央線が引かれるきっかけとなったようです。
「高中」の根源となったのは、道路交通法の「制限速度」と「車両の種類」の項目です。
※道路交通法第一章 第三条 自動車の種類
※道路交通法施行規則 第一章 第二条 自動車の種類
道路標示「高中」の「高」の字は「高速車」、「中」の字は「中速車」を示しています。たとえば「40高中」ですと、「高速車と中速車の制限速度は40km」ということになります。
しかし高度経済成長期を経て自動車の性能が向上し、各種の自動車の性能の限界に基づき決められた制限速度は、時代遅れとなりました。低速車ですら60kmでの走行が可能となり、自動車の種類ごとに制限速度を区別する必要がなくなったのです。
そして平成4年(1992年)、道路交通法の改正により自動車の一般道路等での法定最高速度が車種に関わらず一律60km/hになりました。ゆえに車種毎に異なった制限速度を標示する必要が無くなり、「高」「中」の2文字は不要となったのです。
ゆえに平成4年以降に作られた新しい道路には「高」「中」の道路標示はありませんし、以前から存在していた道路においても、舗装し直される際には「40」等の数字のみが書き直されることになったのです。
たとえ舗装し直されていない道路であっても、殆どの地域で法律の改正を受けて道路標示の「高」「中」の2文字を除去する工事が行われました。しかし完全には消し去ることは出来ず、目を凝らせば、かつての存在した「高」「中」の文字を見つけることが出来ます。
しかし今はもう2011年。1992年から18年もの月日が経過してしましました。多くの現役の道路は続々と舗装し直されています。日本の道路上から「高」「中」の道路標示は、殆どが消え去ってしまいました。
そんな中、もう車の通行が無く舗装しなおされることも無くなった廃道や、維持する必要もない行き止まりの旧道に「40高中」の文字が残っていることがあります。車は通れても、現役であっても舗装整備の優先度の低い旧道や市道や農道にも僅かに残っていることがあります。そして、殆どの地域を除く道路標示を重要視しているとある県では、きっと制限速度をより強調するという意味で、現役の幹線道路にも残していることがあります。
「高」「中」の中で、いちばん多く残っているのは「40高中」です。次いで「50高中」と「50高」。60高や60高中も存在していましたが、制限速度の高い道路ほど、整備の優先度が高い幹線道路であることが多く、「高」「中」が残る確率は限りなく低く、今のところ、当時の航空写真でのみ、その存在を知ることができます。
高中をはじめとした道路標示は、一定の器具や手順があるにしても、印刷ではなく「手書き」ゆえに、辺の長さや文字の幅は「完全に同じ」にはなることはありません。
地域により字体(フォント)が異なることもあります。使われる塗料や印字方法にも若干の違いがあることでしょう。使われた塗料の成分が違えば、ぼろぼろと崩れ去る文字もあれば、アスファルトにへばりついて残るような文字もあります。道路標示は路上を走る車のタイヤの力や、自然の風雨の力により消耗しますが、文字の輪郭まで彫り込まれた「高」「中」であれば、たとえ除去する工事を受けても、より長い間その存在を残すことができます。
また、「高」「中」葉その見た目の味わいだけではなく、その道が記してきた歴史の違いも示してくれます。現役としてぎりぎりまで使われて、数多くの車に踏まれ擦れきった後に廃道となった道。「高中」が記されてまもなく、廃道となり年を重ねて風化した道。今も現役の道として踏まれ続けて「高中」が徐々に消えていく道。
ゆえに、同じ「高中」はありません、ある場所それぞれ、見た目が違い、個性があります。
なお、高中の道路標示が最も路上に普及したのは、昭和50年前後と思われます。今後もこの道路標示については観察と研究を続けて、公開していけたらと思います。
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